"pax gallia" 北アメリカ 1930

小魚の人
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 この世界の分岐点は米墨戦争である。1848年にテキサスの帰属を巡り始まったこの戦争にイギリスがメキシコ側で参戦したことによりアメリカは2つの戦線を抱えることになり、苦戦を強いられた。そうして1851年にトロント条約を結び、米墨戦争はアメリカの敗戦で終わった。講和条約では領土問題のあったオレゴンのイギリス領有が正式に認められ、テキサス共和国はメキシコに併合された。なお、テキサス共和国への利権を狙った欧州諸国の圧力によりテキサス共和国は再独立を果たすことになる。
 アメリカ合衆国では20世紀まで南北の対立は続き、多くの社会問題が残ることになる。1860年の大統領選挙では共和党の奴隷制廃止派のリンカーンが民主党の奴隷擁護派のジョン・ブレッキンリッジに敗北する結果となった。共和党内ではこの敗北に不信感を覚えた保守派は離党し、新たに統一共和党を結党した。そのためこの世界では民主党は長期間与党を担当することになる。
 米墨戦争で勝利した中央集権国家のメキシコはアメリカからの賠償金で近代化を推し進めた。しかし、独立以来続いていた政情不安を止めることは出来ず、1872年のリオグランデ共和国の独立を許すことになった。メキシコは1884年にカリフォルニアやユカタン半島、国内にいる先住民に自治を与える新憲法を制定した。この憲法はメキシコの西欧化に貢献した。
 1906年に発生した世界大戦ではアメリカ国民はイギリスへの報復を唱え、露仏同盟側で参戦した。北米戦線では戦前から計画されていたレッド計画を実行し、カナダへのイギリスからの兵士や物資の輸送を防ぐため軍港を中心的に狙って攻撃した。
 1911年に結ばれたパリ講和会議ではアメリカはノバスコシアなど数州とカリブ海植民地をイギリスから割譲し、多額の賠償金を受け取った。1925年に発生したイギリスの共和革命は北米大陸で変化を起こした。イギリス王室はカナダへ亡命し、この混乱に乗じてオレゴンやケベックは独立した。ケベックはフランスの保護を求め、フランスの同盟国となり危機感を覚えたカナダはそれまで対立していたアメリカとの関係を深めた。

フランス革命が起きなかった世界はこれからpax galliaと呼ぶことにします。補足をするとフランス革命が発生せずナポレオンも台頭しなかったため、アメリカはイギリスから経済的独立を果たした米英戦争を行っていないので史実より経済的に弱いと思うんですよね。ラテン語だとフランスって未だにガリアというんですね。

※使わせていただいた地図
http://www.craftmap.box-i.net/

#架空地図#架空歴史#北アメリカ

2024-01-03 03:00:22 +0000