引き続き、使われなかった自分用資料を供養のため公開。今回はルーマニア海軍。
ルーマニアはその民族名が示すように、かつてダキアと呼ばれたこの地に取り残されたローマ人の裔であると称しています。
しかしこの地が東ローマ帝国の手を離れて以降、完全に独立した勢力としてルーマニア人がこの地に割拠することはできず、長らくワラキア侯国やトランシルヴァニア公国、モルダヴィア公国そしてドナウ公国として、ハンガリー王国やハプスブルク家、オスマン朝、そしてロシア帝国の従属国または属領としての立場に甘んじる時代が続きました。
19世紀半ば、クリミア戦争が終結すると、すでにギリシアの独立に影響を受けていたオスマン領ドナウ公国では独立の機運が高まります。この運動はトランシルヴァニアを支配するハプスブルク家やロシアの影響力拡大を望まないイギリスからは否定的な反応を受けますが、ロシアはボスニア占領をオーストリアに唆してこれを懐柔。さらに1875年からのバルカン半島での諸民族蜂起にオスマン軍が虐殺でもって対処すると、英国も反オスマンに回りロシアに絶好の好機が訪れます。
やがて1877年4月にドナウ公国がロシア軍を呼び入れてオスマンに対して独立戦争を挑むと、前年にオスマンに敗戦していたセルビア公国とモンテネグロ公国もこれに呼応。翌年、ロシアの勝利で戦争は終結し、ドナウ公国=ルーマニアとブルガリアは国家独立を達成します。
ルーマニア海軍はこの戦争中、わずかな艦艇数ながら輸送船護衛や機雷敷設に活躍していました。独立達成後は大規模な艦隊建設が何度も計画されますが、これらの計画は資金難や、WW1発生に伴い発注先が艦艇輸出より自国海軍の増強を優先したことによりいずれもとん挫しています。
WW1が発生すると協商側で参戦したルーマニアは独軍とブルガリアの侵攻により大打撃を受けますが、海軍はロシアに撤収するなどしてその小さな戦力を温存することができました。
戦間期には巡洋艦1隻、小型駆逐艦4隻、潜水艦3隻、機雷敷設艦2隻、魚雷艇10隻の新規整備が模索されますがこれも2次大戦の勃発で道半ばでとん挫。ルーマニアは戦争準備が整わないまま、ドイツとともにソ連と戦う道を歩むことになりました。
2023-11-11 00:00:01 +0000