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ゆぬ450MHz

左から
"ЌⵠДⵠᛖӏԟⵠ-ѶԭʑӏԬʁӏ(Kadamika-Vgziori)" 民族自治準衛
"ꝇʪꝩԋӷӏϝ-ЏɘԬᶍɘԓⵠԋⵠӏԟӏ(Isyhlif-Yeoxenahaiki)" 民族自治準衛
"ŦʑԬԗԋ-ѶʁⵠᛖӏДԬᏤⵠӷᛖӏ(Tzoph-Vramidovalmi)" 民族自治準衛

"ЌⵠДⵠᛖӏԟⵠ-ѶԭʑӏԬʁӏ(Kadamika-Vgziori)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"ヴラデオザシュトクの暴風"。
世界戦争期からハクスラバ・ノノイを率いてきた人物。世界戦争期には対統制ナセレ戦を指揮しており、白兵戦とゲリラ戦で猛威を振るった名将である。ただ、世界戦争後期においては統制バルタナビアの兵士と交戦して右腕を失っており、義手を使っていた。後年には腕が重すぎるという理由でほとんど取り外していたようである。ナヴォルガ紛争に関してはその時にはココチア経由でツハサクート・ノート連邦連邦に用事で抜けていたため事のすべてを知っているわけではないようである。

"ꝇʪꝩԋӷӏϝ-ЏɘԬᶍɘԓⵠԋⵠӏԟӏ(Isyhlif-Yeoxenahaiki)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"ツァローフスの鉄虎"。
ザツヴァイストコルキスタン州(後のペルメイシェクシェスメウスタン共和国領内)生まれのノノイ人。親に連れられてカフイ同盟下のチノチズへ移動してきた。世界戦争期においては前線で突撃部隊の兵士として活動しており、多くの協同軍と交戦してきた。本人曰くトラント帝国兵との交戦回数が最も多かったとも。マレント王国から供与されたスパニット短機関銃を愛用しており、自分用にカスタマイズしていたりする。ハクスラバ・ノノイの中でも名の知れた銃マニアであり、コレクターでもある。ナヴォルガ紛争においては双方の調停に入っていたがその際にハクスラバ・ノノイ(自陣)側と交戦し、左腕に3発銃弾を受け、足をサーベルによって負傷している。その負傷でありながら僅か数週間で世界戦争に復帰している。生まれつき痛覚がかなり弱いためであるが、服用していた痛み止めを間違って規定量の2倍飲んでいたためとも。

"ŦʑԬԗԋ-ѶʁⵠᛖӏДԬᏤⵠӷᛖӏ(Tzoph-Vramidovalmi)" 民族自治準衛
ハクスラバ・ノノイ内務の民族自治準衛(准将に該当)。二つ名は"ティケシュナの白い槍"。
イシュリフと同じくザツヴァイストコルキスタン州(後のペルメイシェクシェスメウスタン共和国領内)生まれのノノイ人。イシュリフとは異なって、親の意志に反してザツヴァイストコルキスタン州を離れてきた。ザツヴァイストコルキスタン州がチェシガン共和国に占領された際に両親を殺されており、その影響で酷くチェシガン人を嫌っている。民族主義ではないものの他2人よりも若干汎コルカズス主義に染まっている。世界戦争下の対統制ナセレ戦を主に経験しており、チノチズのネネイとココチアのネネイの両軍との共闘作戦に参加して山岳における進攻阻止作戦を敢行している。進攻阻止自体は失敗に終わっていたものの大幅に日程を狂わせることに成功し、統制ナセレの進軍意欲を大いに削っている。ナヴォルガ紛争ではチノチズ側に回り、チノチズ側の要求であった早期の停戦と解決を素早く実行した。

曲名:[架空軍歌]ハクスラバ・ノノイ 戦勝歌 "Ѷԭʈⵠԓʑⵠ(Vgdanza/戦勝)"
URL:https://youtu.be/F2lr6bcbM0k

#original#Hakusurava_Nonoi#hand-drawn#illustration

2023-10-23 16:00:53 +0000