前置き:フォローはしないで下さい。(Please don't follow me.)、また私のプロフ閲覧をお願い致します。(Please also take a look at my profile.)
1600年10月21日こと慶長5年9月15日の日本
関ケ原において徳川家康率いる東軍と石田三成率いる西軍が激突
後世において天下分け目の戦と呼ばれる関ヶ原の戦いと呼ばれる合戦が勃発した
だが近年において研究が進んだ結果、よく聞く通説は創作で
合戦すらも呼ばずに呆気なく終わったという説もあるというが
とある伝承……嫌、伝説だけは真実で今尚も語り継がれている
既に勝負は決して敗軍となった西軍に組するとある大名の陣において……
「本当に島津は豊臣と関わったせいで碌な目に合っておらん!ならば不退転の決意よ!」
「皆の者、聞け!これより我等は敵の軍勢を潜り抜けて薩摩へ帰るぞ!」
もう西軍が壊滅状態にも関わらずこの場に居る武士達の統率者である老将は不敵な笑みを零しており
一方で命令を聞いた武士達はすぐさま陣払いの準備を始めた。
老将の名は島津惟新、かつて義弘と呼ばれた頃に後一歩で豊臣家からの介入がなければ九州統一実現できていた島津家が誇る歴戦の勇者
しかし島津惟新の判断により薩摩武士達が死地を乗り越えて、現代にも今尚も語り継がれる伝説を作り上げてしまうとは
本人達も予想できなかっただろう。ただこの撤退で島津惟新の身代わりとなった島津豊久が討死
また戦後にこの件を巡って島津家と徳川家が一触即発の事態になるなど島津惟新の心は休む暇がなかったであろう。
追記、今日は関ヶ原の戦いの日という事で投稿致しました。
当初は石田三成を題材にしようかなと思っていましたが久方ぶりに薩摩ネタやりたかったので代わりに投稿
ただもうちょっと時間があれば豊久との話に、なるべくは薩摩弁でやりたかったですね。そこは反省
2023-10-20 15:52:47 +0000