ワクワク風土記マンシール
剣豪マン編
静岡は東海道五十三次
23番目の宿場
島田宿(過ぎたあたりの宿場とも)での勝負
尾張柳生の利厳こと柳生兵庫(兵庫助)は石舟斎の長子 厳勝の長子
嫡孫にあたる。
慶長8年(1603)25歳のとき、加藤清正に仕えていたが、同僚と口論になり刃傷沙汰をおこし、退く。その後、福島正則の誘いを断り、犬山藩主
成瀬隼人正の推薦により尾張藩主徳川義直に仕えた。尾州に仕える前に大御所、家康に謁見するため静岡へ向かうときに高田と木刀勝負したといわれる。
2本とも高田は勝てず、門弟になる。
高田はのちに成瀬隼人正の兵法師範を務める。
利厳の妻は島左近の娘の珠(珠女たまめ)
子に3人男子がいたが、
長男の新左衛門清厳は徳川義直の小姓だったが、寛永14年(1637)島原の乱で戦死 享年24歳
次男の茂左衛門利方が尾張柳生を継いだ。
三男が麒麟児といわれたあの有名な
柳生連也斎厳包
柳生兵庫利厳は晩年は京都妙心寺
(京都市右京区花園妙心寺町)
内の草庵にこもって禅に徹したといわれる。慶安3年(1650)72歳没
2023-09-24 14:15:35 +0000