周りからの疎外感、社会への憎悪感。そんな負の感情に焚き付けられて行なった犯行によって、「日常」はあっという間に壊れます。停学、退学、解雇、逮捕…。悲しいかな、このような処罰に遭わないと人間は、事の重大さに気付けないものなのです…。
現在、京アニ放火事件の青葉被告の公判期間中ですが、彼に対して「助からないで、さっさと死んじゃえばよかったのに」等と思っていないでしょうか…?ご遺族たちの気持ちを考えれば、その感情は痛いほどよく分かります。でも、本当にそれでいいのでしょうか?
何故青葉被告の担当医師は、彼を助けるのに尽力したのでしょうか?「しっかり生きることで、遺族そして自分の犯した罪と真正面から向き合ってほしいから」なのです。
「日常を失う事で初めて、日常の有り難みがわかる」これは、高校時代の学年スタッフの先生の言葉です。恥ずかしながら、実は私は高2の頃、日頃からクラスメイトから揶揄われたことに怒りが頂点に達して暴れた末、関係ない人を傷つけてしまったことがありました。それが、17年前の今日・この曜日だったのです。そのことで、人生で初めての警察沙汰になり、停学処分を受けてしまいました。
当時人間不信にありながらも、曲がりなりにも「自分の犯した事の重大さ」「他人との繋がりの大切さ(復学して早くみんなと一緒に過ごしたいという気持ち)」が強く湧き出た時でした。大きな犯罪をしてしまった人達に対して、非難ばかりしていないでしょうか?こういうことは、誰にでも起こりうるものなのです。
「自分は犯罪なんかするわけない」というのではなく、「犯罪をする人の背景には、自分が傷つけられた(傷ついた)過去がある」ということを分かって、事件をとらえてほしいのです。それは、京アニの青葉被告だけではなく、このイラストに挙げた重大事件の犯人達だって然りです。改めて、停学になったあの出来事は良くも悪くも、私にとって大きな勉強となったのでした。
駄文長文失礼いたしました。
2023-09-12 06:00:21 +0000