電車で登山口へ。ケーブルカーに乗り換えて山の上に登ると、また普通の電車が走っていた
こんな場所は世界に2箇所しかなく、そのうちの一つが日本の関西にあった
その世界唯二の存在だったのが信貴山電鉄、後の信貴山急行電鉄山上平坦線である
大軌(大阪電気軌道、後の近鉄)が信貴山口まで信貴線を開業させたのに併せて、信貴山口から高安山までの鋼索線、高安山から信貴山門までの平坦線を1930年に開業させたのが傍系の信貴山電鉄である
すでに生駒側から信貴生駒電鉄がルートを作っていたが、これに対抗しての大阪側から信貴山上の朝護孫子寺へのアクセスを目的としていた
「平坦線」とはいえ、起伏の激しい山岳路線でそれに対応させるべく製造されたのがこのデハ5(5、6、7の3両。1、2は鋼索線車両)である
14mの小型車体で窓の上辺にRのついたノーシルでバランスの良いデザインの電車
カーボンランダムブレーキ(線路にブレーキシューを直接当てて制動力を得る。横軽のEF63にも似たようなものが装備されている)という特殊な装備を持っていた
戦時中の1944年に不要不急路線に指定され、鋼索線ともども休止。戦後鋼索線は復活したが、平坦線は廃止され道路転用された
高安山駅から信貴山門まで走るバス路線がそのまま線路敷きで、一部は信貴生駒スカイラインに組み込まれて一般車も走行できる
高安山駅には当時のホームも残り、途中には複線幅のトンネル(実際は単線使用)も残っている
さて、このデハ5は平坦線休止と共に山を降りて南大阪線に転じた
このとき特徴の一つだったカーボンランダムブレーキは撤去されている
形式はモ5251(デハ5)、5252(デハ7)に変更され、晩年を伊賀線で過し1977年に廃車となった
なおデハ6は信貴山電鉄時代に崖下に転落し廃車となっている
イラストは伊賀線時代の5251
東急のVVVFステンレス車が導入され始めた伊賀線も、一昔前まではこんな小さな電車が走っていたのだ
こうゆう重箱の隅をつつくようなネタチョイスばかりなのでウケないんだろうな、僕の絵はwww
2010-06-07 09:27:59 +0000