2018~2020ぐらい
色々絵を修正して投稿してます。当時はもっと下手クソです・・・(絶望)
二次創作でもなんだかんだで心血を注いでいたので、なるべく綺麗な姿で世に残してあげたいという気持ち・・・(供養)ちなみに新年と大晦日で閉めてるけど実際の絵の順番は年代バラバラだぜ!
あとはもう最近のものしかないので、残り10数枚くらい直したら終わりかな?
次のまとめでもう終わるので、羅ゲルに飢えすぎて迷信を信じることで精神を保っていた話でもします。
羅ゲルって昔は栄えてたのでそこそこ同人誌もあったらしいんですが、私が来た時には衰退していたのでマジでこの世に羅ゲルの薄い本って無いんですよ。中古で買えたものは集めてたんですが、私は3冊しか持ってません。(自分で出せば良かったじゃんて思うかもしれないんですが、正直絵が死ぬほど下手だったしやがて段々と人口が減っていって孤独になっていったのでそんな余裕無かった・・・)
ただほんとに好きな神絵師がかつて羅ゲルのめっちゃ分厚い同人誌を描いてて、なんとか中古でそれを手に入れたんですが「もしこの同人誌を読み終わったらもうこれ以上のこの世で読める羅ゲルは存在しなくなる」という状態になることに気付いたんですよね(絶望)なので読みたかった神絵師の分厚い羅ゲルの同人誌を読まないことで、「まだ読める羅ゲルは存在する」という状態を維持することで精神を保っていました。そんなことをしてもマジで何の意味も無いので本当は読むべきだったなと今は思いますが、結局私がこの「神絵師の分厚い羅ゲルの同人誌」を読むことはありませんでした。そもそも明らかに非論理的で何か呪術的な儀式でしかないのですが、この狂気の信仰によって私の情熱は保温されていたと言っても過言では無かったと思います。飢えてヤバい時はいつも「まだ読める新しい羅ゲル」は存在すると思うことで無理矢理希望を作りだしていました。まだ予備の食料があるんだ・・・(震え)みたいな安心感。バカバカしすぎるエピソードなのですが、今冷静になって考えると極限状態で頭おかしくなってたんでしょうね。こんな風になる前にさっさとそれを読んで見識や解釈を広げるべきだったと思います。ちなみにこの怪文書を書いている今でさえ、まだそれを読んでいないのでもう一生読まないかもしれません。ただ今読んだとしても、あの運動しまくって喉が渇いて仕方が無いときに飲む水道の水のような、冷たい温度が胃の中心から全身へ満ち足りていくあのありがたく気持ちのいい感覚を得ることは決してできないと思うのです。それに、何故今になって?何故あの時読まなかったのか?と後悔するような気さえします。もはや特級呪物と化した同人誌。それは今座っている椅子の、すぐ左隣の本棚にいつでも読むことができるように置いてあります。
もし将来、「昔あれだけ読みたいと思っていた神絵師の分厚い同人誌」を読んだらここに追記して感想を書いておきます。この下に何も書いてなければ、まだ読んでいないと思って下さい。
2023-03-24 12:34:56 +0000