ゲームをつくっていると、80年ころのナムコの勢いは
尋常でない。追いかけるアルゴリズムの創出で、
ゲーム史の流れを変えてしまう。映画にもなっている。
しかし、そのナムコがなぜ、バンダイ社と合併・合体したか。
わたしの意見をいえば、その後のイノベーションがなかったことになる。
つまり、ロジックやアルゴリズムはそのままで、
表層的なコンテンツ、つまり、富野由悠季のガンダムを借りて、
企業が延命したのだ。
プログラミングという意味では、ロジックを常に追求しなければならないだろう。
それが時代に追いつかなくなった。だから、ガンダムやドラゴンといった
既存のワールドコード、ガンダムは国内的だが、が必要だったのだろう。
反対にいえば、ゲーム化は自在であり、新日本プロレス同様、
そうなってくると内容がともなわなくなる。
”高木豊は、猪木の代わりが出来るか?”
猪木さんがなくなり、プロレスでなく
プロ野球を見る人も多いだろう。
今年は、阪神が岡田となり、(前監督は
はやばやと、今季かぎり宣言し、話題だったが)
ドラゴン立浪も、2年目だ。
野球はやはり、9人制だし、プロレスは基本
シングルマッチだ。このあたり、高木豊は、
猪木になれるだろうか?
有田哲平はといえば、ハヤブサ特集。
わたしも最近、ハヤブサと新崎人生のタッグを動画で見た。
人生と、ブル中野が対談していたからである。
カイリは、新日本にあがり、ボストン出身の
女子レスラーと抗争するだろうか。サーシャ・バンクスだ。
村上の56という数字も、もっと打てたと思う。
最終戦だけ勝負してもらえたのではなかろうか。
そんなことしていれば、経済成長はない。
深田萌絵の裁判の行方はどうなるだろう。
" サッカーゲームとは、何だったか?”
かまいたちが、ゲームで遊ぶ動画を見て、
ずいぶんサッカーゲームは進化したと見えた。
調度、ワールドカップが再開され、
日本の活躍もあり、しばらくやってなかった
サッカー制作を再開し、最近よく書くように、
ナムコ社の、追いかけるアルゴリズムにいたったのである。
サッカーの場合は、壁や迷路もないし、
むしろシンプルに思える。
ナムコの重鎮が語るように、80年頃は、
実装がおいつかなかったが、技術を通して、
だいたいのものが、ゲームに落とし込めたのだ。
パックマンのようなゲームは、スポーツ系のゲームと無縁のようだが、
ボールを追いかける意味で、ナムコ社の発想が、
様々な実装に影響を与えている。その後、
バンダイと合併してしまうのだが、電気屋として
根本的な技術は、80年ころがピークだっただろう。
週末は、今度は野球ゲームを実装してみて、
なにかコンピューターについて、あるいは
ゲーム史について言えることをさがしたいと思う。
有田哲平のハヤブサへの言及もよかった。
野球の実装を通して、また、”追いかけアルゴリズム”に到達するかもしれない。
ナムコ社は、ファミリースタジアムもタイトルとして持っている。
(古い話で恐縮だが。)
”追いかけ”以外のアルゴリズムが出てきてくれるといいが、
それはわからない。実装を通して、なにか学びが出てくれればと思う。
ゲーム開発
わたしは、ゲームを開発しているわけではない。
今、野球にとりくんでいるが、
実装する過程で、重要なアルゴリズムを見つけたいだけである。
サッカー実装したとき、なかなか前へ進めなかった。
動画で、サッカーゲームの進化だけに注目したものがあり、
最初はまさに、ポンとかわらないが、時間が経過すると、
最終的にはフィーファが発売するような完成形になる。
時系列を見ると、途中、くにおくんのサッカーもあり、
わたしはトリッキーな動きをスポーツに取り込んでみてもした。
そのときわかってきたのが、ナムコ社の、追いかけるアルゴリズムの
重要性だ。ナムコの幹部、重鎮にインタビューする動画もあるから、
黎明期のゲームファンは必見である。
また、こういったアルゴリズムを通して、現代社会の法則を
みいだしたいのである。そのための野球ゲームであり、野球狂と書いておく。
”欠落感、喪失感”
前田氏の動画に、藤原組長が登場し
やっぱりと思った。
猪木さんがなくなり、関係興行があるうちはいいが、
それこそ武藤が引退でもすれば、
愛着障害の受け皿だったものが完全に消滅し、
親と関係を築けなかった人は、二重の意味で
喪失感を感じてしまうはずである。わたしは
理屈を言っている。
プロレスファンは、金曜8時に
新日本を見ていた人が多い。
ほんとうなら、こういった時間帯に
親と、学校でこんなことがあったとか、
友達はこうだなど話すなりして、
大人になる準備をする。
しかし、トラウマ的にシンと抗争する
猪木を見て、馬之助が印象に残ってしまうという
障害を持ったまま成人になるのだ。
週刊誌で日本プロレス時代の記事があれば
すみずみまで読み、プロレス脳を発達させる。
しかし、オカダカズチカの試合だけは
どうも受け入れられないというのが
ほんとうのところだろう。
ひとつは、前田チャンネル、有田哲平、
男ロマンライブ等々で、たてつづけに
猪木特集をすることだ。それによって
愛着障害は、他のかたちで埋合されるかもしれない。
しかし、わたしの場合はゲームをつくっている。
ゲームもまた、71年生まれにとっては、
黎明期からかかわらざるをえなかった代物だからだ。
いま野球をつくっており、ランナーの動きを
考えている。おそらく、様々なもので、ゲームに
落とし込めないものはないだろう。そういった意味で
初期のナムコ社が行ったイノベーションはすばらしく、
もっと評価されるべきである。パックマンは映画になっているが、
もっと同じような映画をつくるとか、猪木喪失同様、
また新しい映画がつくられるにちがいない。
構築すべきときに親子関係がなければ、子は歪なかたちで成人するから、
はっきりいえば、とりかえしはきかないのである。
”野球ゲームをつくる”
ゲームといえば、みなファミリースタジアムだろうが、
わたしにとっては、野球狂だ。
ファミスタが86年。
中学のとき、すでに自分から話しかけることは
あまりなかったが、ファミスタにはまった記憶もない。
なぜか野球部に所属してしまい、わたしの中学といえば野球
ということになっている。
以前書いたとおり、転校した先の小学校も、
以前の小学校も同じ中学だったものだから、
2年間のブランクをへて、同じ顔と対面するといった
奇妙な経験をした。
そこに六郷小学という、大曽根商店街あたりの
かなり小さな小学
2023-02-16 08:21:13 +0000