プロレスは、愛着障害という言葉が気になった。
案の定、今年になり、猪木のいない世界に
動揺が走っている。ロマンライブもそのひとつだ。
今回は、ジャパン特集。ジャパンといっても、
プロ野球ではない。
大塚という人物が、長州らを全日本のリングにあげた
という話。当然、当時中学生だった人にとって、
大人の事情は、知らぬほとけだ。このあたりは、
田尾安志選手について書いた。
簡単にいえば、猪木のところは、佐山タイガー人気で
潤った?しかし、事業家の猪木は、資源再生に投資してしまい、
新間の話では、倍賞美津子や、藤波の妻までまきこまれたそうだ。
そういった中、大塚氏が全日本と接近。長州力は
いつのまにか、日本テレビでしか見られなくなった。
そして、また新日本に戻る。ライガーがいうとおり、
出たり入ったりなのだ。
こういった人達に人生を翻弄されてはならない。
だから、わたしはゲームを制作したらどうかと提案している。
インベーダー理論を超えよう。そのむこうに何があるか?
”プロレスは、愛着障害?”
猪木さんがなくなられたのが、昨年。
男のロマンテレビでは、長州軍特集だ。
動画によると、大塚なる人物が、
新日本プロレス興行といった、まぎらわしい
興行会社を設立したそうだ。
さらにまぎらわしいのは、全日本の試合も
興行にするという点。
馬場も、大塚氏の手腕をかったそうだ。
長州は、全日にあがり、87年に新日本にかえってくる。
それに嫉妬したキラー・カーンは、そのまま引退。
アメリカで歓迎されていたにもかかわらずだ。
カーンの動画は、バンされた。
尾崎豊が来たくだりなど貴重だったが、
ケフェイにふれたからだろうか。
武藤が引退して、ほんとうの意味で
プロレスは消滅する。そのほうがいいかもしれない。
石川くんの思い出
クラスメイトかなにかで、
彼の家はビルであり、一階部分がなぜか
ゲーム喫茶だった。
喫茶店といえば聞こえいいが、
コーヒーを飲むというより、
ゲームが主であり、当時の
ゲームセンターはまだ暗かったのだ。
石川という男は、カネ欲しさに
車上狙いするような男だった。わたしの人生において
唯一の汚点である。
”富野だけじゃない!”
猪木さんが昨年なくなり、愛着障害について書くことが多い。
その埋め合わせではないが、ナムコやセガの黎明期の動画を見ると、
当時の開発者のエネルギーというか、子供っぽさを感じる。
子供っぽさと書いたが、当時わたしは子供だった。
名古屋の北に上飯田という駅があるが、
そこの団地の地下に実は、ゲームセンターがあったのだ。
開発者の動画を見ると、そのころ眺めたような
基盤が、目の前に提出される。
”サザンに同調できない”
”ゲームをつくる”
ゲームをつくるといっても、
そう簡単にさけへ進めない。
こういったものは、段階的に先へすすむものだ。
つまり、わたしは長い間、インベーダーの世界観を
超えられなかった。
しかし、最近偶然だが、パックマン的世界観を
手に入れつつある。
簡単にいえば、座標を中心にして、追いかける手法である。
こういった技術は、日本初と思うが、今
関連動画を見ているところだ。
”川石くんの思い出”
川石くんは、ゲームセンターを経営していた。
パックマンが流行したころ、
わたしは彼らがプレイするのを、遠くで見ているだけだった。
実際にわたしはプレイしなかったのだ。
こう考えると、わたしの性格があぶり出されてしまう。
金銭的に禁欲だったのはあるが、わたしは
川石がプレイするのを横目で見ていたのである。
キン肉マンの感想
スグルの試合中であり、カメハメ似の超神と試合中だ。
直接的には、師匠対弟子の試合だが、
俯瞰的に見ると、やはり、新シリーズになってからの主題、
つまり、ザ・マンの下天について語られるべきだろう。
超神と抗争中だが、ザ・マンと超神はかつての仲間だったはずである。
また、今でも仲間かもしれない。
現実的には、神と人間が存在するが、マンガのなかでは、
その中間者として超人が存在する。
その超人のたたかいを見せつつ、ザ・マンの下天した意味を
まとめて読者に伝えなければならないだろう。
たとえば、人間が神に近づいた場合に、超人的になるというのであれば、
偶像でない神を偶像化するのが超人であり、
人は超人から元気をもらい、生きる、生きろといった
メッセージだろうか。
たしかに、キン肉マンを読んで元気をもらった。
更新が楽しみだという人にとって、マンガは読者に
元気を与えている。だから、超人とは与える人ともいえるだろう。
下天や受肉というのは、つまり気づいた人のことをいうのであり、
超人墓場にこもるより、なんの変哲もない人間にまじりながら、
他の人を導く存在だろう。しかし、そういった存在は地味だから、
マンガのようにヒーローとしてかく必要が出てくる。
ただ、スグルの場合、初期の連載では、ヒーローになりきれない
ヒーローといったかかれかたがされ、人間にごく近い存在で
それが人気だった。
超神とたたかいながら、ブロッケンジュニアやジェロのように
スグルが人間に戻ってしまうというのもあるだろう。
マスクを脱いで、人間になり、ごく平凡な人間を演じる。
ロビンマスクのように、長期欠場もありうる。
マンガの方は、残ったメンバーが団結して、
連載を盛り上げていけばいい。スグルもやはり人間だ
ということになれば、マンガの世界観に立体感が出るかもしれない。
”プロレスのない日々”
プロレスがないといっても、ほんとうは
興行はあり、わたしの関心が薄いという意味である。
武藤が引退するが、まだやっていたの?といった
気持ちの方が強い。
プロレスは、愛着障害だともいわれる。
愛着障害とは、築かれるべきときに、親子関係が
築かれなかった場合をいうそうだ。
簡単にいえば、片親の場合、
物理的に両親がいないから、構築しようがないだろう。
そこから欠落感が生まれるが、両親の前で、
欠落感を得ることもあるだろう。すくなくとも
本人がそう感じてしまえば、子育ては失敗だ。
わたしはプロレスを失い、ゲームをつくるようにしている。
アルゴリズム的には、インベーダーを超え、
パックマンらの段階に入ったと自覚している。
どういうことかといえば、不等式を用いて、
座標をコントロールするといえば、わかってもらえる
だろうか。
インベーダーの世界観では、インベーダーはミミズミサイルこそ
うってくるが、自機を追いかけてはこない。
パックマンでは、文字通り自機
2023-01-27 20:42:29 +0000