これからの芝浜

玉本秋人

近所のコンビニで、ボロボロの格好で泥だらけのオッサンが、停車した自転車に跨って店で買ったであろうアンパンを食べていた。
それが、まあ、あんなに美味そうに、幸せそうに食べるかね?ってくらいの大変に良い表情だった。夏頃に見た姿だけどね。
〜これからの芝浜〜という事で、談春師匠が従来の芝浜を大きく作り変えると。どんなものか全く想像がつかないので有楽町朝日ホールへ先日行ってきた。
細かな点は省くが、従来の芝浜より夫婦の人物描写が大きく変わり、大晦日で完結する噺を正月、さらに翌日まで続くという構成となっていた。確かに、新しい。「また夢になるかもしれねぇ」で終わるいつもの芝浜も好きだが、コレはコレで一つの形かな。
旦那の勝公が思い悩む所から夫婦の諍いが始まる。奥さんがいて仕事も順調、近所の評判も良い事から「アンタ幸せもんだね」と言われるが、それを聞いて「幸せって何だろう?」と真剣に考えてしまう。
「アンタは幸せじゃないの?」と奥さんに言われるが、別に自分が不幸とは言っていない。ただ、人から幸せと言われると「幸せって何だろう?」と純粋に思ってしまうという。
わりと序盤の部分なんだが、この辺りの心情に共感を覚えた。充足ではないが、かといって決して満たされていないわけではない。ただ、他者の物差しで幸せと言われると何か妙に違和感があるこの気持ち。結構現代的な人物描写に見えるんだよな。
ちょっと前は一般的な幸せの基準があって、おおよそ皆がそうなるべきだと疑わず信じていたが、今はその価値観が崩壊はせずとも薄れてきている。多様性と言えば聞こえは良いが、それなら決められた基準には違和感を持つ自らの幸せとは何か?今はわからずとも、他者の物差しが合わず、自分で自分の幸せの尺度を測
る必要性を感じている人。そういう人にこの「これからの芝浜」は刺さる気がするな。
その作業は面倒だなと思う部分もあるんだが、世の中何だかいっそう混沌としてきて、それでいてとにかく流れが早い。そんな今だから、自分を見失わないためにやらなきゃならない事かもしれないな。
それこそ冒頭で書いたアンパンを大変幸せそうに食べてるオッサンのように自らの幸せをキチンと噛みしめる・・・。まあ、アレもコッチから見て幸せそうだなって思っただけで、オッサンは別段幸せでもなかったかもしれない。やっぱりその人が幸せかどうかはその人しかわからない事だからこそ、自分でハッキリクッキリと幸せと言える価値基準はもっておかないとな。
年の瀬に趣味の落語を聴きに行ってこんなあーだこーだ言えるのも、個人的には、「まあ幸せ」と言えるのかもしれない。

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2022-12-30 13:03:13 +0000