「またお祭りを盛り上げてほしいって頼まれちゃった!」
トレーナー室に飛び込むように入ってきたコパノリッキーは両手を大きく広げながら満面の笑みで伝えてくる。URAファイナルズを優勝し実力を示した彼女だが、大切にしている風水に絡んだ仕事が急激に増えてきている。
「こんなにみんなに風水を知ってもらえるなんて、本当に毎日が楽しいよ!」
彼女は心の底から喜んでいるようでずっとニコニコしている。
「体調はどうだ?」
しかし、個人的には不安なところがある。それは彼女のスケジュールがかなり過密になっていることだ。
「大丈夫!トレーニングには支障がないように組んでるから!」
そんな彼女の目元には薄っすらとクマが出来始めていた。
「今日はオレンジ色のマニキュアなんだな」
トレーニングを始める前に彼女は爪を塗っていた。
「『火』の気を取り込みたいからね。オレンジ色はエネルギッシュになりたい時とかに用いると良いよ。」
すこし引っかかるものがあった。
彼女はトレーニング時はあまりマニキュアを塗らない。勝負服の時は爽やかな水色のマニキュアを塗っている。
「集中力や判断力を上げるため。あと勝負服が黄色がベースで陽の気が強すぎるから陰の気である青で整えてるの」
そんなことを言っていたが今日は特にレースが近いわけでもない。言うなれば『ただのトレーニングの日』だ。
それなのに彼女は塗っていた。もしかしたら忙しくて体調が悪くなっているのかもしれない。
ならトレーナーである自分が取る行動は一つだ。
「よし、今日はこれで終わりにしよう」
「あれ?もう終わり?」
いつもより1時間ほど早い時間でトレーニング終了を伝える。
「タイムが良かったら早めに切り上げようと思ってたんだ」
「そうだったんだ」
彼女は汗を拭きながらこちらの言い分を受け入れてくれた。
「実はこの後、話し合いがあったんだー。助かるよー」
彼女は申し訳なさそうに頭を掻く。
聞けば祭りの話し合いはそこまで遠くない場所でやるとのことだ。
今日の彼女の状況を鑑みても迎えに行った方がいいと思った。
「リッキーさん今日はありがとうございます!今から当日が楽しみです!」
「風水をたくさん組み込んでくれてありがとうございます。当日は成功させましょう!」
打ち合わせをしていたであろう喫茶店から男女数人と共に制服姿の彼女が出てきた。挨拶を交わしてそれぞれの別の方向に進み始める。
「……あれ?トレーナー?どうしてここに?」
テラス席でコーヒーを飲んでいるこちらに気付き声をかけてくる。
「たまたまだよ」
「……そっか」
「俺も今から帰るんだ。車なんだけど乗っていくか?」
店先に停めている車を指さしながら近づく。
「……うん、お言葉に甘えよっかな」
ドアロックを解除に運転席へと乗り込む。
彼女が乗り込み、シートベルトを締めたところでエンジンをかけ走らせる。
「あれ?良い香りだね」
彼女がスンスンと鼻を鳴らす。
「あぁ、たまには気分を変えようと思って」
自分はそう言って吹き出し口についているクリップタイプの芳香剤を指さす。
「ピンク色で桃の香り……。トレーナーはどこまで分かってるの?」
どこまでと聞かれると正直分からないが、今日気づいた部分は話すことにする。
「ちょっとくまが出来始めてたし今日は珍しくマニキュアも塗ってた。もしかしたら疲れてるんじゃないかと思って、トレーニングも軽めにしておいた。話し合いも結構考えるだろうから疲れちゃうだろうなと思って迎えに来た。桃の香りのにしたのはたまたまかな」
「……そっか。たまたまでも桃の香りを選んでくれたんだ」
「気に入ったか?」
「うん、とっても落ち着く」
彼女はそう言って目を閉じる。
寝てていいからなと伝えるとコクリと頷き、少しして寝息が聞こえてきた。安全運転を心掛け静かに走行させた。
「リッキー、着いたよ」
寮近くに着いたので彼女の肩を揺する。
「……あれ、もう着いちゃった?」
言い終わった後、口を閉じながら小さく伸びをする。
「お疲れ様。明日はトレーニングもあるからあまり寝不足にならないようにな」
今日の彼女の様子を見て、根を詰めすぎないように伝えた。
「……うん」
だが、彼女は立とうとしない。
「リッキー?」
「ねぇトレーナー」
彼女はこちらを見る。
「少し歩かない?」
駐車場に止め、二人並んで寮近くの住宅街を歩いている。
「金木犀の匂いがすると秋だなぁって感じがするよね」
「そうだな。少し肌寒くなってきたな」
金木犀が花をたくさん咲かせ、歩道はまばらなオレンジ色の跡を残している。陽も落ち始め人通りも少なく、肌寒さも相まって物悲しさを感じる。
「……なにかあったのか?」
隣を静かに歩く彼女に話を振る。
「……私はいつも通りだよ」
彼女は前を向いたまま静かに笑ったかと思ったらすぐに下を向く。
「トレーナーってさ、私自身が知らないことも知ってるよね」
「そうかなぁ?」
自分ではそこまで貢献できているのか分からないし、彼女のことを深く知っているかと言われるとまだまだだと思っている。
「『大地の聲』の時だってそうだし、動物園で小さい子に泣かれちゃった時とか、合宿の時にお祭りのお手伝いした時とか……私1人だけだったら気づけなかったし、暴走してたと思うんだ」
彼女が言っている場面はどれも自分が少なからず関わっている。
「違う目線から見ると気づけることとかあるし、それも俺の仕事だからな」
「正式なトレーナーとじゃない時やプライベートな時、それに私が個人的に取り組もうとしていたものでも?」
「ま、今は正式な担当としてだけどな」
「そっか」と彼女は呟く。
緩やかな坂道に差し掛かり彼女は数歩前へと出る。
「私さ、風水でみんなを幸せにしたいと思って今まで取り組んできたんだよね」
前を向いたままこちらに語り掛ける。
「それこそ今までだって気味悪がられたり拒否されたりあったよ。信じてくれない人もたくさんいた。だけどね……」
彼女は振り返る。
「キミだけだよ。風水をこんなに信じてくれたの」
そう言った彼女は「ううん違う」と頭を振り言葉を続ける。
「風水を信じてる私を信じてくれたのは君だけだよ。トレーナー」
両手の人差し指の腹を合わせながら彼女はこちらに目を合わせる。
「今日だって、トレーニングは軽めに変更して、迎えに来てくれたし、桃の香りでリラックスさせようとしてくれてた。あれ、風水的にも大正解なんだよ」
「たまたまだよ」
「そう、たまたまでも『いつも』私のことを第一に考えて行動してくれてる」
彼女は静かに微笑む。
「キミは私のお守りだよ」
夏祭りの時にも言われた言葉をまた彼女からもらう。
「俺はリッキーのトレーナーだからな。これからも支えていくよ」
こちらの言葉を聞き大きく息を吐き、小さく呟いた。
「……私、こんなに幸せで良いのかな?」
コパノリッキーの指先は細かく震えていた。
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全文は小説で
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2022-10-08 10:00:01 +0000