紀元70年 “戦う帝位継承者”

Legionarius

伝令「司令官閣下にご報告!! 第Ⅴ、ⅩⅡ、ⅩⅤ軍団は配置完了。第Ⅹ軍団フレテンシスは奇襲を受けオリーブ山の奪取に失敗しました」
百人隊長「腑抜け共が、ローマの恥晒しめ!!ティトゥス様、私の大隊に機会をお与えください。第ⅩⅤ軍団アポリナリスの名誉にかけて叛徒を地獄の底に突き落とします!」
ティトゥス「百人隊長よ……その意気や良し! 間に合う者だけで良い、騎兵隊は私に続け。敗走する兵をまとめるには“目立つ軍旗”が要るからな。キドロン谷もオリーブ山も取り返したら第Ⅹ軍団には説教だ」
百人隊長「フハハ! 大将が敗走の抑え、ご両親(ウェスパシアヌスと皇后)にはお見せできませんな」
テ「たまには適度な刺激と緊張感が必要だろう、お前も兵達も。そして私にもな」
側近「適度……あまり無茶をなさいますと*危険です。陛下にもご報告せねば」
テ「親父なら最高指揮官は範を垂れるべきだとか何とか言うと思うが」
側近「支配者は狡猾さや慎重さも身につけねばなりません」
テ「皇帝になるようなことがあれば考えるさ。アポリナリスの第一大隊は今日も期待に応えてくれるのだろうな」
百人隊長「無論、マルスとユピテルのご寵愛がある限り」
テ「馬鹿言え、神々に愛されし者は早々と天に召し出されるんだ。ご寵愛賜りし者がいつまでもこんなクソ地獄を這いずり回っているかよ」
百「フハハ! どうりでそこら中、悪党ばかりになる訳だ」

*紀元70年4月23日に少数の兵と斥候に出て待ち伏せで死にそうになった。軍司令官自らの情報収集は古代ローマの戦史においてしばしば見られることではある。指揮官が現場の情報をつぶさに知ることは有用だったのだろう。が、マルケッルスの様に戦死する可能性も大いにあり、ハイリスク・ハイリターンだった。

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戦争するならまず指導者が最前線へ行け、などと迂闊に言うとトラヤヌスやティトゥスみたいな指導者の場合、「ヒューッ! 俺も行くから、皆も行こうぜぇ! なぁ☆」とか言い出しかねないので困りそうですね。基本的に若者が多い軍団において一際目立つ白髪頭で敵の矢の射程まで突っ込む皇帝とか、一騎打ちを挑んだり斥候して捕まりそうになる帝位継承者とか超困る。古代なら盛り上がるから良いか……(良くない)

多神教の傾向にあったローマに統治される一神教の色濃いユダヤ地方は元々長年に渡り、摩擦と反感を抱えておりましたが、属州総督による神殿の宝物持ち出し等を理由に暴動が発生、暴動の鎮圧と首謀者の逮捕・処刑がさらなる反発を招き、紀元66年に本格的な反乱(第一次ユダヤ戦争)へと至りました。

ネロ帝が派遣したウェスパシアヌスは息子ティトゥスと共に反乱の中心となったイェルサレム攻略前に周辺都市を制圧しました。しかし68年に今度はローマ帝国を揺るがす内紛が発生、ネロ帝が自害し、皇帝が次々と変わる内乱の年(4皇帝の年)を経て勝利したウェスパシアヌスが皇帝となりました。

こうして内乱によって一時膠着となっていたユダヤ戦争の解決は皇帝の息子ティトゥスに委ねられ、大軍勢によるイェルサレム包囲戦が70年4月に始まりました。

イェルサレムは天然の要害に立つ都市であり、さらに要塞や神殿を含む堅固な建物、大きな三つの塔(イェルサレム西門の傍にある塔、ヒッピクス、マリアムネ、ファサエル)、そして強固な防壁と付随する防御塔で囲まれており、攻略は容易なものではなく、悲惨な攻囲戦は4カ月と三週間に及びました。

籠城軍はギスカラのヨハネやシモンが率いる1万以上の戦意旺盛な軍勢に多くの市民が加わっていたとされています。ティトゥスが率いたのは中核となる4個軍団である第Ⅴマケドニカ、第Ⅹフレテンシス、第ⅩⅠⅠフルミナタ、第ⅩⅤアポリナリス、それに第Ⅲキュレナイカと第ⅩⅩデイオタリアナの分遣隊、ほか8個補助騎兵大隊、20個補助歩兵大隊、従属国や同盟部族の派遣部隊、合計3万~4万の戦闘員に加えて輸送等後方任務に従事する奴隷や従軍労働者という膨大なものでした。

この戦いはヨセフスなどによる詳細な記録が残っており、事前の行軍縦隊の編制や布陣、陣地建設、包囲線の配置、情報収集などが仔細に伝わっています。緒戦で偵察に赴いたティトゥスが命を落としかけたり、陣地構築中の第Ⅹ軍団が城壁から必死の出撃をしかけた反乱軍に襲われて敗走する様子、それを収拾しようとするティトゥスやローマの騎兵隊、壁に迫る破城槌や攻城塔、大型投石機の運用(石弾を視認しづらくするための塗装や無惨な威力の描写など)、強固な防御施設への攻撃という危険な作戦を行う前に全軍に決意を促す手法、困難な局面で戦意や規律を維持する手段などが描かれており、当時のローマ軍の活き活きとした姿を知る有力な材料の一つであるように思われます。

包囲戦は9月にイェルサレム陥落(この際に焼け残った神殿の西壁が“嘆きの壁”として知られる)によって終わりますが、ユダヤ戦争自体は73年頃のマサダ要塞陥落まで続き、ローマ軍は良くも悪くもその徹底した攻撃力と技術力を記録に残しています。

ご参考:The Jewish Revolt AD 66-74、古代ローマ名将列伝、ヨセフス「ユダヤ戦記」

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2022-08-20 13:51:03 +0000