これは実話であり、公式記録、専門家の分析、関係者の証言を元に構成しています。
37年前の今日は乗員乗客524人中520人が犠牲となった日本航空123便墜落事故の起きた日です。この事故は単独機としては史上最悪かつ航空事故全体としてもテネリフェの悲劇に次いで2番目に多くの犠牲者を出す大惨事で、直接的な原因は事故の直接的な原因は1978年に発生したしりもち事故とそれに対するボーイング社の修理ミスと、747クラシックでの油圧系統関連の設計ミス(垂直尾翼に4系統あった油圧配管が集中している箇所があった)で、後部圧力隔壁が金属疲労で破断した結果、それによって垂直尾翼が脱落し、その油圧配管が集中している箇所がピンポイントで破壊されて、舵面での操縦が不可能となってしまった。パイロットたちはエンジンの出力を調整するなどして奮闘し必死に羽田空港へ戻ろうとしたが叶わず32分間の迷走飛行の末力尽き御巣鷹の尾根に墜落した。
犠牲者の冥福をお祈りするとともに、航空業界に大きな影響を与えたことも忘れてはなりません。
当該機が油圧を失った後も32分間飛び続けたということはイコールとして舵面が失われた場合でもある程度の飛行が可能だということが、認知される結果となった。
その4年後の1989年に再び油圧を全て失った事故が発生する。ユナイテッド航空232便不時着事故で、DC-10が第2エンジンの爆発により3系統あった油圧系統が全部破壊されてしまった。だが、偶然にも客室に乗り合わせていたDC-10型機の訓練教官がJAL123便の件を受けて自主訓練を行っていたこともあり、彼の助けも受けてエンジン出力調整による操縦を実行。何とか最寄りのスー・ゲートウェイ空港にたどり着かせたものの、直前で横風に煽られて体勢が崩れた結果、着陸に失敗。結果的に乗員乗客296人中112人が死亡したが、残りの184人は決死の救助活動によって生還した。
いくつかの要因が重なったとはいえ、パイロット達の奮闘が全滅するところだったのが乗員・乗客の6割を生還させたのである。
そしてその14年後の2003年には、バグダッドを離陸したDHLの貨物機がテロリストが撃った対空ミサイルの被弾により左主翼が損傷、油圧系統が全損する俗に言うDHL貨物便撃墜事件が発生した。この事件でもやはりエンジン操作による操縦が実行され、バグダード国際空港に引き返した。そして通常の着陸を大きく上回る速度で滑走路に進入し、4000mある滑走路を1000mほどオーバーランしたものの着陸には成功。乗員3人全員が生還した。JAL123→UNA232→DHLという様に見ると、最悪に近い状態に対応する技術がいかに培われたがよく分かるだろう。
なお、これらの事故との関係は薄いが、カンタス航空32便の事故の後に当該機の機長が言った「安全性の向上を目指し共有した航空産業の勝利である」という言葉はある意味このような一連の事例を端的に表しているといえるでしょう。
2022-08-11 15:00:25 +0000